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大阪高等裁判所 昭和63年(う)853号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人森岡一郎作成の控訴趣意書記載のとおりであり、それに対する答弁は、検察官和田博作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、被告人が昭和六二年八月二九日ころAに対し覚せい剤を代金五〇〇〇円で譲り渡したとの起訴状の公訴事実について、原裁判所は、右日時を同年八月下旬ころとする検察官の訴因変更請求を許可し、その変更された訴因に基づいて、同八月下旬ころAに対し覚せい剤を無償で譲り渡したとの有罪事実を認定したが、右訴因の変更は、両訴因の間に公訴事実の同一性がなく、また八月下旬における両名間の覚せい剤の取引は一回でなかった可能性があるのであるから、本来許されるべきではなく、従ってその変更された訴因に基づいて有罪を言い渡すのは違法である、として訴訟手続の法令違反を主張するものと解される。

そこで、所論にかんがみ記録を調査して検討し、以下のとおり判断する。

一  訴訟経過及び証拠関係について

原審における訴訟経過及び本件についての証拠関係として、記録によれば、次のことが認められる。

1  被告人は、昭和六二年一二月一日(以下、特に断らない限り、年については昭和六二年を指す。)、八月二九日ころの午後七時三〇分ころ、大阪市都島区〈住所省略〉喫茶カルダン(以下、単にカルダンという。)において、Aに対し覚せい剤結晶約〇.二七グラムを代金五〇〇〇円で譲り渡した旨の覚せい剤取締法違反の事実により起訴され、昭和六三年一月八日の原審第一回公判において、公訴事実に対し、「カルダンでAに対し覚せい剤約〇.二七グラムを渡したことはあるが、その日は八月二五、六日ころと思う。代金五〇〇〇円とあるのは、ゲーム代をAに出して貰ったものである。」旨の陳述をし、原審弁護人も同旨の陳述をしたが、被告人は、更に同月二七日の同第二回公判において、公訴事実に対し、Aに対し覚せい剤を譲渡した記憶はあり、その日は八月二五、六日ころと思うが、場所はよく覚えていない。ただAは、八月二九日ころ、南区久佐衛門町のビジネスホテル『ルーミング心斎橋』において、名前の言えない別人から覚せい剤を手に入れており、Aの尿検査の結果検出されている覚せい剤は、自分が譲渡したものかどうか疑問である。」旨の追加陳述をした。

2  原審第一回公判において取り調べられたAの司法警察員(一〇月六日付、同月九日付、一一月二五日付)及び検察官(一〇月七日付、一二月一日付)に対する各供述調書において、Aは、九月三日に警察に提出した尿から検出されている覚せい剤を被告人から譲り受けた状況について、「八月二九日ころ自宅からカルダンに電話したところ、被告人が電話に出たので、覚せい剤が欲しい旨言うと、持っているというので、タクシーでカルダンへ行き、午後七時三〇分前ころカルダンに着き、ゲームをしていた被告人の側へ行って、早く渡してくれるよう催促すると、被告人はセカンドバックの中からビニール袋に入った覚せい剤を出して渡してくれた。自分は代金として五千円札を出して渡そうとすると、被告人が両替してくれと言うので、カウンターへ行ってその五千円札を百円硬貨に両替して貰い、それをゲーム機の上に置いた。覚せい剤は三回分で約〇.二七グラムあり、すぐカルダンの便所で使用し、残りは二回に分けて使用し、尿提出前に最後に使用したのは、八月三〇日午後一一時三〇分ころホテル二四においてである。」旨供述している。そして、同じく原審第一回公判において取り調べられた被告人の司法警察員(一一月二一日付、同月二六日付、同月二七日付)及び検察官(一一月三〇日付)に対する各供述調書によると、被告人は、八月二九日ころカルダンでAに覚せい剤を五千円で譲渡したとの事実については当初覚えがない旨否認していたが、その後認めるに至り、「八月二九日ころカルダンで遊んでいると、Aから電話があり、その後Aがやって来て、ゲームをしている自分の側に来て催促するので、セカンドバックから覚せい剤一パケを取って渡した。代金は五千円を百円硬貨に両替させて受け取った。」旨供述している。

3  ところが被告人は、昭和六三年二月一九日の原審第三回公判において、「八月二五日、六日ころAに覚せい剤を一回分無償で渡しているが、その場所は分からず、それ以降は渡していない。八月二九日をはさむ同月二八日から九月一日までは、Aを含めて二、三人の者らとホテル『ルーミング心斎橋』に部屋を借りて泊まるなどしていた。捜査官に対する自白調書は、Aの供述通りのことを押しつけられて出来上がったものであり、その調書で述べていると似ているような状況での譲渡は過去にあったが、それも金銭は貰っていない。」旨供述し、また同年三月二五日の原審第五回公判において、「Aに覚せい剤を渡したのは八月二五日であり、場所はカルダンでなく、多分ホテルであると思われ、金は受け取っていない。」旨供述し、一方Aも、同年三月一一日の原審第四回公判での証人尋問において、「従前八月二九日ころカルダンで被告人から覚せい剤を買ったと警察官や検察官に対し述べていた事実については、買った際の状況は違わないものの、日にちが間違っており、実際は二九日の二、三日前であった。買った覚せい剤は二八日明け方ころまでカルダンで三回に分けて使ってしまい、その後も九月一日までの間に被告人やその他の者から貰って覚せい剤を使用しており、九月三日に警察官に提出した尿から検出されている覚せい剤は被告人から八月二九日に買ったものであると捜査官に言ったのは、そう言わないと、被告人から譲り受けた以降の覚せい剤の使用とその譲り受け関係者の名前を供述せねばならなくなり、捜査が長引くと思うと共に、それら関係者の仕返しが心配であったからである。」旨供述するに至り、更に原審第五回公判では、八月二九日ころには被告人とAはホテル「ルーミング心斎橋」に居たことを裏付ける証拠が取り調べられた。

4  そこで検察官は、昭和六三年六月一〇日の原審第八回公判において、前記公訴事実中「八月二九日ころの午後七時三〇分ころ」とあるのを、「八月下旬ころの午後七時三〇分ころ」と変更する旨の訴因変更の請求をし、訴因変更請求の事情として、「当初Aの捜査段階の供述に基づいて八月二九日ころと特定して起訴したが、譲渡の状況については変わりがないが、日にちについて同人の供述の変更があったので、それに基づき訴因の変更を請求するもので、同一の事実を捉えたものであり、八月下旬におけるカルダンでの譲渡は右一回のみである。」旨釈明し、また右にいう譲渡の状況とは、「八月下旬ころの午後七時ころ、Aがカルダンにいる被告人のところへ電話をし、覚せい剤を所持していることを確認した上、タクシーでカルダンへ行き、午後七時三〇分ころ同店内でゲーム中の被告人に覚せい剤を要求して、〇.二七グラム入りの覚せい剤一パケを代金五〇〇〇円で買い、その代金は被告人の指示によりAが五千円札を百円硬貨に両替して渡したという事情である。」旨釈明し、弁護人は、右訴因変更請求に対し異議がない旨述べ、裁判所は訴因変更を許可した。変更された訴因に対し被告人は、「昭和六二年八月下旬にAに覚せい剤を渡したことが一回あり、それは八月二〇日夜から二一日午前一ないし二時ころの間のことと思う。その覚せい剤の量についてはよく覚えていない。代金五〇〇〇円ではなく、只でやったものである。」旨陳述し、弁護人も同旨の陳述をした。

5  右訴因変更後の原審第八回公判において取り調べられたAの検察官に対する供述調書(昭和六三年五月一六日付、原審第四回公判での証人尋問後作成されたもの)において、同人は、「従前捜査官に述べていた事実は、買った際の状況は違わないものの、日にちについては嘘の供述をしており、実際に買ったのは八月二五、六日であり、そのように日にちを特定できるのは八月二四日レイク京橋店で二〇万円を借りて一一万円を被告人に返した後のことで、母親が自分を探しにカルダンに来た同月二七日より前のことであるからであり、被告人はカルダンで八月二〇日ころ三回分の覚せい剤を無償で渡した旨言っているそうだが、八月二〇日以降カルダンで被告人から覚せい剤を買ったのは八月二五、六日のとき一回だけで、それ以外にはない。」旨供述している。他方、同じく原審第八回公判において取り調べられた被告人の検察官に対する二通の供述調書(昭和六三年五月一六日付、同月一七日付、原審第五回公判後作成されたもの)において、被告人は、「八月二〇日カルダンに居るとAから電話があり、午後七時三〇分ころタクシーでカルダンに来たAがゲーム中の自分の側へ来て、覚せい剤を渡してくれるよう催促するので、セカンドバック内にあったパケを只で渡してやった。その後自分の五千円札をAに渡して百円硬貨に両替させた。八月二〇日と特定できるのは、右の覚せい剤のやりとりの後知人のB夫婦らをAと共に自動車でホテルまで送っていった事実があるからであり、八月二〇日以降Aに覚せい剤をやったのは、右のカルダンでのことと同月二三日一回分をやったことの二度あるだけで、それ以外はなく、Aが八月二五、六日にカルダンで三回分を五千円で買ったと供述しているのは、日にちを間違えており、また自分の金を両替させたことを間違えているとしか言いようがなく、Aがいうような状況での覚せい剤のやりとりは八月二〇日の件一件だけである。」旨供述している。

6  右のような訴訟経過及び証拠関係において、原裁判所は、変更された訴因に基づいて、「被告人は、昭和六二年八月下旬ころの午後七時三〇分ころカルダンにおいて、Aに対し覚せい剤結晶約〇.二七グラムを無償で譲り渡した。」旨の事実を認定して有罪とし、同時にその判決において、「被告人は昭和六二年八月当時、Aに対し覚せい剤を反復して譲渡していたものの、同月下旬ころの喫茶カルダンにおける譲渡は一回だけであること、Aが同店に赴き、店内でゲームをしていた被告人に対し覚せい剤がほしい旨申し入れ、被告人が覚せい剤を渡し、その際Aが被告人の指示で五千円札をゲーム機に使用する百円硬貨に両替したこと、について被告人とAの供述は一致しており、日時、取引量及び有償無償の点について両名の供述に食い違いはあるものの、右の一回性及び取引態様の明確性に鑑み、両名の供述する取引は同一の事実を指すものと認めることができる。」旨判示した。

二  原裁判所の手続の適否について

前記のような訴訟の経過及び証拠関係に照らし、原裁判所が変更された訴因に基づいて判決したことの適否について考察すると、原判決は、前記のとおり、被告人は八月下旬ころカルダンにおいてAに対し覚せい剤を無償で譲り渡した旨認定し、その事実認定に関して、八月下旬ころのカルダンにおける譲渡は一回だけである旨判示しているところからすると、原裁判所は、八月下旬におけるカルダンでの被告人とAとの覚せい剤の授受は一回のみであって、その授受の際Aが五千円札を百円硬貨に両替した事実があったものと認定判断して、それを前提に、被告人からAに対する覚せい剤の無償譲渡の事実を認定したものと解せられる。なるほど前記のとおり、Aは原審第四回公判での証人尋問後に作成された検察官に対する供述調書において、また被告人は原審第五回公判後作成された検察官に対する各供述調書において、いずれも、日にちは異なるものの八月下旬にカルダンで覚せい剤の授受を行ったのは一回のみであって、その授受の際両替の事実があった旨供述しているのであるが、原審で取り調べられた被告人及びAの両名の捜査官に対する各供述調書や原審公判での供述を始めとして関係各証拠を子細に検討すると、次の事情が認められる。すなわち、Aは当時日を置かずといえるほどかなり頻繁に覚せい剤を使用しており、その使用する覚せい剤はほとんど被告人から入手していたため、両名の間では八月下旬に至るまでの間度々覚せい剤の授受が行われており、五千円や一万円という対価で有償譲渡されていたが、時には無償で譲渡されることもあったこと、Aは、八月二〇日ころ以降九月二日に姉のところに赴き翌日警察に出頭するまでの間、被告人と一緒に行動したりあるいは頻繁に接触しており、その間に両名の間で複数回の覚せい剤の授受が行われても不思議とはいえない状況にあったこと、八月下旬以前から被告人はカルダンへ赴いてゲームをして過ごしていることが多く、Aもカルダンに度々出入りしており、その結果八月下旬以前においても両名の間でカルダンにおいて覚せい剤の授受が何度か行われており、八月下旬に至っても被告人やAのカルダンへの出入りの状況はそれ以前と変わりはなかったのであるから、もしその頃被告人とAとの間で覚せい剤の授受が行われているとしたら、それはカルダンで行われていると考えてもおかしくない状況にあったこと、Aは当初八月二九日に被告人との間に覚せい剤の授受があったかのように虚偽の供述をしていたことを自認しているのであるが、その虚偽の供述をした理由として説明するところも必ずしも納得ゆくような明確なものではなく、かえってそのような虚偽の供述をしていることは、同人が捜査官に迎合するなどして思いつきでとっさに虚構の事柄を述べる可能性があることを窺わせ、更にそれ以外の点でも同人の供述には変転が見られ、同人が被告人との覚せい剤の授受について述べるところには全幅の信頼を措くことはできず、なかでも同人が八月下旬のカルダンでの覚せい剤の授受は一回のみであるとしている点は、原審証言後作成された検面調書において初めて述べられたもので唐突であって、取調官に迎合して述べているのではないかとの懸念があり容易に信用できないこと、一方Aとの覚せい剤の授受に関する被告人の供述も、変転して一貫性がなく、罪責を免れんがためあいまいなあるいは虚偽の供述をしている気配が多分に存し、たやすく信用することができず、なかでも八月下旬のカルダンでの覚せい剤の授受は一回のみであるとしている点は、自己の罪責を軽減せんがためあえて供述しているものと考えられ、到底信頼することができないこと、被告人及びAがそれぞれ覚せい剤の授受を行った日時をその前後に存した事象に関係付けて特定している点はともかく、その日時での授受の際五千円札の両替という事実が存したという点及びその両替が覚せい剤の代金決済の手段として行われたか否かという点、並びにそれぞれ特定するその日時以外には八月下旬にカルダンで覚せい剤の授受を行っていないという点は、いずれも客観的な証拠あるいは間接事実による裏付けがない、全くの両名の記憶によるものに過ぎないこと、以上の諸事情がそれである。そして、これら諸事情からすると、被告人及びAがそれぞれ最終的に供述するがごとく、八月二〇日ないし同月二五、六日と特定している日に果たして両名の間で覚せい剤の授受が行われたのか、ましてやその特定する日にちでの授受の際五千円札の両替という事実があったのか、また八月下旬のカルダンでの授受は各々が特定する日にちでの一回に過ぎなかったのか、多分に疑わしく、むしろ原審で取り調べられた関係証拠によると、両名の間では八月下旬ころにはカルダンで約〇.二七グラム入りの一パケの覚せい剤の授受が複数回行われ、それらは有償あるいは無償で行われている可能性のあることが否定できず、またそれら覚せい剤授受の際五千円札の両替という事実が付随してあったとしても、それがいずれの授受の際の事柄か一向に明確でなく、且つその両替が代金決済の手段として行われたのか否かも確定できない状況にあると認められるのである。そうすると、原審での証拠調べの結果によれば、八月下旬ころには、カルダンでの被告人からAに対する約〇.二七グラムの覚せい剤の譲渡の事実は、複数存在する可能性があったのであり、しかもそれら事実は併合罪の関係にある別個の事実を成すものであったのであるから、当初の八月二九日ころのカルダンでの覚せい剤の譲渡の事実を、八月下旬ころのカルダンでの覚せい剤の事実に訴因を変更することは、その変更後の訴因が複数存在する可能性のある譲渡の事実のいずれを指すのか特定を欠くのみならず、当初の訴因とは併合罪の関係にある公訴事実の同一性を欠いた事実をも含む訴因に変更することとなるので、それは許されないことといわねばならない。したがって、原裁判所としては、全証拠調べの結果に基づいて、すでになされた訴因変更の許可を取り消すなどの手続を取り、当初の訴因に戻した上判決をすべきであったのであり、それにもかかわらず原裁判所が訴因変更を許可したまま、変更された訴因に基づいて判決したのは、訴訟手続の法令違反であるといわざるを得ず、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由がある。そして、右訴訟手続の法令違反のあった原判示第二の事実とその余の原判示の各事実とは刑法四五条前段の併合罪の関係にあるものとして、一個の刑を科しているので、原判決は全部が破棄を免れない。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄し、更に適正な訴訟手続を行って審理を尽し判決させるため、同法四〇〇条本文により本件を原裁判所である大阪地方裁判所に差し戻すこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石松竹雄 裁判官萩原昌三郎 裁判官松浦 繁)

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